PICTURE DIARY 1405MO2018

pd20180514s
ふと譜面にあらわせる音楽には際限があるかも知れないと思った。人類の音楽史のなかで、今まで幾つの曲が作られて来たのだろうか。音符の無限とも思われる組み合わせで生まれるメロディーやハーモニー、リズム、さらにアレンジ。そしてある日、最後の音楽が生まれる。無限と思われた音符の最後の組み合わせ。どのような曲が残されているだろうか。果たしてその様な日が来るだろうか。コンピューターで計算出来るだろうか。それはどのような美を携えた音楽だろうか。妄想のうちの一つ。

PICTURE DIARY 1305SU2018

pd20180513s
母の日。墓前に参る。東堂さん不自由な足をいたわりながら展覧会に来てくださる。住職と共に。辻氏のワークショップ盛況。人々の伝統工芸への強い感心を感じる。改めて漆について知ることが多い。まず木を漢字で表す場合、偏が木偏でないのは漆の木だけだと言う話から、日本における漆の起源は、紀元前1万2千年まで遡るとの説明に驚く。工程、道具類、仕事を支える要素の繊細の片鱗を見る。午後雨になり、モーリスマイナーは走らせない。更に一泊すると訊いたが如何に。

PICTURE DIARY 1205SA2018

pd20180512s
ART in LIFEギャラリートーク。漆芸家、辻 徹氏と共に。トーク終了後、辻氏が遙々と、そして遠路恐る恐る乗って来た愛車、1965年式モーリスマイナーを見せていただく。「エンジンルームなんてスカスカなんですよ」と辻氏。ボンネットを開けて見せてくれるが本当にスカスカだ。1000CCのエンジンがちんまりと鎮座している。エンジンルームのスカスカのスペースにデザイナーの夢がデザインされている。

PICTURE DIARY 1105FR2018

pd20180511s
からりとした良い天気。人と会うのは、常に必然。喜びのあること。朝早くから絵を描く。朝の光は成長を促す。そういう絵になる。夜に描く絵は、夢うつつの世界に入りたがる。いつ何をするかによって時間や季節の持つ特性が刷り込まれる。だからいつでも素直が一番だと思う。夜になり布団に乗り込む。広大な宇宙へ旅する乗り物。

PICTURE DIARY 1005TH2018

pd20180510s
人と人が出会うのは面白い。砂浜の砂同士が隣り合う、急流を下り転がる石が岩に当たる、蜜蜂が花に停まる、雨が蛙の頭で弾ける、宇宙で一期一会。一粒の米を箸の先に見る夕食。

PICTURE DIARY 0905WE2018

pd20180509s
大きな音をたてて隣のアパートが壊されて行く。恐竜のような機械が壁を打ち、アルミニウムの窓枠をくわえ、引きちぎる。崩れた壁の向こうにリビングルームやバスルームの断面が現れて、淡いピンクのタイル張りにさっと亀裂が入ったかと思うと、住んでいた人の残像と共に呆気なく崩れ去った。入浴していた残像は、重機の傍らからかけるホースの水に身を震わせて、滴り落ちるまま廃棄物処理のトラックに投げ入れられ、あっさりと落ち着く。ダイニングキッチンで、家族はテーブル上のねじくれた鉄筋と水道管のパスタの昼食に夢中だが、会話は聞き取れずジェスチャーを交わしている。積み重なった時間と、でたらめに折り重なったコンクリートの塊の玄関で、何回の行ってらっしゃいとお帰りなさいがやりとられただろう。この作業は行ってらっしゃいなのだろうかお帰りなさいなのだろうか。

PICTURE DIARY 0805TU2018

pd20180508s
急に寒い。暖かさに慣れ始めた体が静かに驚いている。

PICTURE DIARY 0705MO2018

pd20180507s
ヘアカットに行く。半年振りになるか。ここのところの忙しさは段落や節目というタイミングをくれなかった。だが、改めて気付くが、前後を含めて2時間程の時間を用意して伸びた髪を切ることよりも、髪を切る間合いが大切だということ。切り替えでもけじめでも段落や節目でもなく、間合い。眉間と書いて間合いとも読む。

PICTURE DIARY 0605SU2018

pd20180506s
日暮れる前の時間が好きだ。その美しいひとときのドライブには格別な楽しみがある。低い位置から射す陽が長い影を伸ばして、見馴れたはずの風景に謎めいた魅力を与える。大気を斜めに貫く光の色が、プリズムのように変化して、その移り変わりの速さと車のスピードがカーナビゲーションシステムの矢印を田園から宇宙へと誘う。夕焼け空の衣装をまとい、星空への入口を目指して滑走する。

PICTURE DIARY 0505SA2018

pd20180505s
故郷の町に住む叔父が、古典文学の講座を開いている。95歳。集まる人はひとり減りふたり減りして今は3人の受講生。訊くと皆さん80歳台になる。講座を開く部屋は美術館のすぐ下のフロアーだが、受講するご婦人が、階下で講義する叔父の手紙を携えて缶バッジ作りイベントの会場にいらっしゃる。今、講座の休憩でお茶の時間を取っているので、一緒に来て叔父に会って欲しいと伝言をくださる。飛んで行く。広い講義室に会議テーブルをロの字形に組んで、受講生がそれぞれのテーブルにひとりずつ居る。正面のテーブルの向こうに微笑みを浮かべた叔父がこちらを向いて座っている。つややかで元気に見える。曰く、自分は体力も無く、足も悪くして歩行もおぼつかない。目も見えず、視界の左半分は白くぼやけて色彩もわからない、目の前に居るお前の顔もぼんやりしている。美術館で絵を見たいのは山々だが、このような体が許すものではない。よって失礼する。おめでとう、がんばれよ。こうやって長く生きているのは嬉しく有難いが、同様に思うに任せられないことが多く、困る、と言ってまた微笑む。