PICTURE DIARY 1301TU2015

PD20140113s
何だかやっと生活と仕事にノリが出て来た。早く起きて早く済ませる、何事も。気持ちに余裕を持つのが肝心。用意した餅を食べ終えるとお正月も過ぎた感じになる。ちょっと寂しい。今日は書店に立ち寄って文庫本を1冊求めたが、多分忙しくてすぐには読めない。そうしてたまった本が沢山あるが、そんな本が1冊もなくなるときっと寂しい。

PICTURE DIARY 1201MO2015

PD20140112s
ここのところ、たびたび木の板に絵を描く。今日2枚描いた。昨日は鏡開きで、1日遅れた今日、供え餅をストーブで焼いて、醤油を付けていただいたのだが、乾燥して水分が少ないせいか、柔らかく膨らむどころか、かちこちととても固い。鏡開きを辞書で引くと1月の11日になったのは江戸の頃で、20日や4日など、場所によってまちまちだとある。まあ12日でも良いわけで、女は鏡台の前、男は床の間の鎧兜の前に供えて具足餅と言ったらしい。僕の場合はアトリエのイーゼルの前にお供えし、さながら絵に描いた餅、「絵描餅」と呼ぶか。その辞書に、「鏡板」と言うのが載っていて、それは能舞台の背景の上手から側面に描かれた老松の絵を指すのと同時に、框などで囲った一枚板を言うらしい。なるほど、それとは知らず鏡板に絵を描いていたと言う訳か。鏡に縁が深いと改めて思う次第。

PICTURE DIARY 1101SU2015

PD20150111s
鏡開き。お供え餅がかちこちになってひび割れ、かびているのは毎年のこと。縁起良い。午後から日暮まで絵描き。2月28日から始まるB GALLERY、TIME CAFE、BEAMS LIGHTSの3会場を結ぶトラベリングエキシビションのプランを練る。見に来る人々をトラベラーとして迎える旅の展覧会。

PICTURE DIARY 1001SA2015

PD20150110s
昨日、2枚同時にデザインを進めたdip in the poolとblue et bleuのCDサンプル盤が届いてジャケットやブックレットを見ながら沁々と聴き込む。両CD共にサウンドはもちろん、全てに渡り上出来と自賛する。最新のものが最高のもの。dipもblueもdipの木村達司氏のプロデュースによる。blueは故佐久間正英氏のユニットで、dipの音楽が大好きだった佐久間さんと、共同プロデュースを依頼された木村さんが進めていた仕事を、ほとんど遺言のように託された木村さんが完成させた渾身のアルバムだ。佐久間さんが遺した音源を損なうことなく活かして、いかに佐久間さんが欲しいと考えていた音にするか、木村さんは大分苦心したと言う。佐久間さんの秘蔵っ娘、天才歌姫ゆあさみちるのデビュー盤になる。2つのアルバムは佐久間さんの一周忌に合わせてリリースされる。

PICTURE DIARY 0901FR2015

PD20150109s
晴れ空の下、旅に出る。陽の当たる真っ直ぐの坂道を昇りジャンプする。青い天井を突き破り、星々に溶け込む。

PICTURE DIARY 0801TH2015

PD20150108s
星のアトリエ、仕事始め。年の始めはゆっくりと休んだ。ゆっくりすると事象の見えかた感じかたが違う。何をせかせか這いつくばっているのだろうかと思う。

PICTURE DIARY 0701WE2015

POD20150107s
正月七日七草粥、いただく。意外なこと三つ。新宿中村屋の祖、相馬黒光の人となり、興味深い。ベートーヴェンのピアノ交響曲、当時のサロンでの演奏を再現した楽器編成で聴き、個々の楽器の音色がくっきりとして面白いと感じる。ボン・ジョビのドキュメンタリー映像を見て、描かれ語られる彼らの姿勢に感動する。

PICTURE DIARY 0601TU2015

POD20150106s
次の展覧会のためのイメージスケッチを描く。出来るだけ何も考えずに、いくつかのキーワードに基づいて手早く。作品には言葉やストーリーがある。決して語るものでも語られるものでもないが、それに、言葉や文字に置き換えにくいものでもあるのだが。僕にはギターやピアノの弾き語りのような才能は見当たらない。絵の描き語りというのがあれば面白いだろうが、誰かそういう才能の人が居れば楽しいだろうと思うだけで、それ以上の現実性はない。しかし、そんな言葉を含めて、自分や自分たちの作り出すものの点と点とが結び付いて、新しい星座や地図になり、未来への道標や贈り物になるように続ける。

PICTURE DIARY 0501MO2015

PD20140105s
年末年始を休廊していた「ART OF HEART」展が今日から再開する。既に多くの人が来場してくれていて嬉しい。

PICTURE DIARY 0401SU2015

PD20140104s
時は流れて全ては移り変わる。一時として止まらず同じ時は無い。夢や幻や空想も現実であり、それらを手触りや目や耳に感じるように慈しみ育てる。小さな赤子が仰向けに寝て空を見上げ笑っている。その子が見ているものを僕らも見ている。何も難しいことはない、じっとしていても雲は流れ水は流れ時は流れて僕らもその流れの中にいる。僕らはいつも新しい。